石見銀山を示した古地図
左の切手は、「タルタリア図」と説明されていますが、アブラハム・オルテリウス(Abraham Ortelius、1527-1598)が 1570年に出版した世界地図帳『世界の舞台』に所収されたモンゴル周辺、タルタリア族が住むといわれていた地域を描く地図を描いた物です。石見銀山が "Minas de plata" (銀鉱山)として記載されています、ということなんですが、切手だと小さすぎて字もよく分かりません。島根県のウェブサイトにどこが銀鉱山なのか説明がありましたので、ごらんください。何語なんだろうと思いましたがスペイン語のようですね。地図が出版された時代は、大航海時代であり、ポルトガルをはじめとするヨーロッパ諸国が日本に直接接触してきた時期でもあります。地図上では日本は銀の国として認識されていたのですね。切手中央下の部分が日本らしいのですが、北海道はまったく描かれておらず、四国がTONSAと大きく扱われている一方で、九州は小さな島の集まりになっています。
一方、石見銀山自体の本格的な成立もこの16世紀であり、博多商人の神屋寿禎によって鉱山開発が進められました。1533年に「灰吹法」という製錬技術を導入することで生産性を大きく向上させ、石見銀山で産出された銀は、中国やヨーロッパに輸出され世界の銀産出量の3分の1を占めるほどだったということです。1563年のポルトガルの地図に初めてこの石見銀山を指すと思われる記述が登場し、切手のタルタリア図にも銀の産地として記載されるようになります。ヨーロッパでは中国の産品が非常に珍重されその貿易に日本の銀が用いられたそうです。石見銀山遺跡が世界遺産登録になった理由の一つとしては、産出された銀自体が世界史に大きな影響を与えた点も評価されたのでしょう。
隣の切手は、「龍源寺間歩」(りゅうげんじまぶ)の写真です。間歩(まぶ)というのは鉱山の坑道のことです。1715年に開発されたとされており、江戸時代中頃の坑道が保存されています。石見銀山には500ほどの間歩があるそうですが、今日一般公開されている唯一の坑道がこの「龍源寺間歩」です。入場料は大人400円、交通は最寄りのバス停から徒歩1時間ということで、だいぶ遠いです。見学されるときは気をつけましょう。徒歩またはレンタサイクルの利用が推奨されています。石見銀山では、世界遺産登録後観光に訪れる人が急増し、交通規制を行っています。
●関連ウェブサイト
石見銀山
http://www.iwamigin.jp/ohda/minasdeplata/ginzan/
島根県 世界遺産としての価値を説明した部分。タルタリア図のどこが銀鉱山なのか解説があります。
http://www.pref.shimane.lg.jp/sekaiisan/iwami_ginzan/wheritage/wheritage_07.html
文化遺産オンライン タルタリア図
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=95140
龍源寺間歩
http://www.san-in-tabi.net/kankou/map/ohda/ryugenji-mabu/
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