今はもうない - 原子力船「むつ」

アメリカの原子力空母「ジョージ・ワシントン」が横須賀に配備されたそうです。原子力空母は中に原子炉を持っています。基本的な構造は原子力発電所と同じだそうです。
日本には原子力空母はありませんが、その昔濃縮ウランで動かす原子炉を持った「原子力船」を実験しておりました。原子力船は原子炉の熱で船の動力として用いる蒸気タービンを回すものです。昭和38年に「日本原子力船開発事業団」が設立され、その開発の任にあたりました。原子力船の名前は母校を青森県むつ市大湊港に定めたことにちなみ、「むつ」と名づけられました。昭和44年(1969年)に進水。写真の記念切手は「原子力船進水記念」というもので1969 年6月12日に発売されました。この時点ではまだ原子炉は艤装(ぎそう=ふねに取り付けられること)されておらず、昭和45年から47年にかけて取り付けられました。
原子力船の開発国としては世界でも4番目(ソ連・アメリカ・西ドイツに続いて)です。原子炉の出力は36,000キロワット。船自体の総トン数は8242トンでした。昭和49年(1974年)に洋上で初の臨海試験を8月28日に実施、9月1日には放射線漏れ事故が発生、新聞等に大きく報道されむつ大湊港への帰港が反対にあうという事態になりました。
さて、この原子力船「むつ」はすでに原子力船ではなくなっています。放射線漏れ事故以降の「むつ」の歩みをたどってみましょう。
これにより原子力船の実験は長期の停滞をみることになりました。放射線漏れの原因は原子炉の遮蔽が不十分であったためと結論付けられています。遮蔽構造の改修が行われ、昭和57年に完了した後、平成2年(1990年)に初めて原子動力による実験航海が始まりました。最初の実験から16年がたってしまいました。平成4年には実験航海を終了し原子力船としての役割を終えることになりました。平成5年には使用済み核燃料がむつから取り出され、平成7年6月に原子炉も取り外されました。
平成8年に海洋地球研究船「みらい」として生まれ変わり、平成9年に関根浜港に回航されました。
原子力船は非常に少量の燃料で航行可能ですが、原子炉自体の重量が大きいため、相当の大型船でないと採算が取れない代物であり、平成に入ってからの実験ではすでに原子力船の商用利用の可能性はなかったと言われています。原子力船開発事業団は昭和60年に日本原子力研究所と統合されており、長期間の停滞の間に原子力船の実験はその本来の意義を失っていたといえるでしょう。
ジョージ・ワシントンの原子炉の出力は推定で伝えられているもので、60万キロワット2基という報道があります。日本の原子力発電所の出力は刈羽柏崎原発が1基あたり110万キロワット(1号機から5号機)なので、推定どおりであれば原発が横須賀に係留されているというのは大げさではありません。
原子力船「むつ」の原子炉室は、関根浜にあるむつ科学技術館に展示されています。
●関連ウェブサイト
原子力船「むつ」の概要
http://www.shigen-energy.jp/atom/note/011012.htm
海洋地球研究船「みらい」の概要
http://www.jamstec.go.jp/j/about/equipment/ships/mirai.html
JST失敗知識データベース
http://shippai.jst.go.jp/fkd/Detail?fn=0&id=CA0000615
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