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岩手県2つ目の世界遺産「橋野高炉跡」

K2016070806


『世界遺産シリーズ〈第9集〉「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」』が2016年(平成28年)7月8日に発行されました。

本遺産は8つの地域・23資産で構成されており、そのほとんどは山口県と九州地方に位置しています。例外は韮山(静岡県)と釜石(岩手県)です。

岩手県釜石市にある「橋野鉄鉱山」が資産の名前ですが、切手に描かれているのは鉱山ではなく高炉跡です。

反射炉(切手太郎「反射炉ってどういう施設なのでしょうか」)は銑鉄(せんてつ)から鋼を作る施設ですが、日本ではその銑鉄生産にも課題がありました。
今日の鉄は鉄鉱石を材料に高炉で生産されますが、日本では砂鉄からつくられる「たたら製鉄」で、大量の鉄を作るのには不向きでした。
釜石の橋野鉄鉱山は、日本最初の商用洋式高炉の跡です。

盛岡藩の大島高任(おおしま・たかとう 1826-1901)は、オランダの書物を参考に洋式高炉を現在の釜石市につくりました。最初の高炉の稼働は新暦で1858年1月15日で、旧暦では安政4年12月1日のことでした。
その高炉は切手になった「橋野高炉」ではなく、「大橋高炉」です。橋野高炉は1858年の暮れに作られました。
橋野には3つの高炉跡が残っており、切手になっているのは1858年に建設された仮高炉(後に改修された三番高炉)です。(採掘場・運搬路も施設として残っていますが、非公開です。)

橋野鉄鉱山は磁鉄鉱を産出する鉱山で、生産された銑鉄は水戸藩の反射炉に送られたそうです。

釜石では橋野の他に高炉が複数作られ、橋野の高炉は1894年まで操業が続けられます。

大島高任の技術を評価した明治政府では官営の釜石製鉄所の建設を決定。1880年(明治13年)に操業を開始しましたが、生産は軌道に乗らず廃止。その後民営となります。釜石製鉄所の技術者は官営八幡製鉄所の操業にも派遣され、日本の近代製鉄の基礎を築くとともに、釜石は「鉄の町」として知られるようになります。
現在は新日鐵住金の釜石製鐵所として残っていますが、高炉は停止されています。

●関連ウェブサイト

橋野鉄鉱山の見学について (釜石市ウェブサイト)
http://www.city.kamaishi.iwate.jp/tanoshimu/spot/hashino_tekkouzan/detail/1200513_3028.html

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